水曜日の朝の診療中に古くから当院の患者さんであるご夫婦の奥さんから電話があった。ご主人が四日前から腰~右大腿が痛くなり唸るほど悶えるほどで近くの大病院で検査を受け(結果はまだ出ていない)薬をもらったがますます痛くなりトイレも小さな奥さんがおぶって引きずっていくほどで後は唸って転がっている。脚を曲げても伸ばしても起きても寝てもどうしていてもいられないほどに苦しんでいる。連れて行くことは不可能なので昼休みに往診に来てもらえませんかという、往復だけでも一時間半は掛かりそうなので遠隔を送るから昼まで待ってと言って電話を切った。何度か遠隔をおくりました、午後にご主人が車椅子に座って来院しました。トイレも行けないで唸っていた人がおとなしく車椅子に乗れるほどに良くなりました、先生の遠隔のおかげです、見ているとだんだん良くなっていくのが分かりましたという。ご主人は僕は遠隔気功とか信じていないんですがと口を挟む、トッププロは気功前の状態に戻せるんですが僕はまだ出来ないけどやってみますかというと、いやそれは勘弁してくださいという。これで遠隔がすぐに効いたことと本人が信じていないのは関係ないことが直に確認出来た。歩いてもらうと前屈みで歩く、これなら室内は十分歩ける、外出は杖を突けば不可能ではない。折角来たのだから腰にブロック注射をして気功をした。奥さんとしてはトイレまでおぶらなくて良いので、それ以上に痛みで転げて唸っているのを聞かなくて済むので満足のようです。ご主人は奥さんに甘えているだけで前記の乳幼児を抱えたお母さんのように危急存亡の危機でないので改善がイマイチ半端なのではと思います。しかし四日間こんなご主人を介抱してきた奥さんには十分な改善のようです。勝負はついたので後はそれなりに治ると思います。
車椅子に乗せられてではなく立って歩いて来て欲しかったので不本意な結果と思ったのですが真相はこのようです。依頼の話もお礼の話も奥さんがして本当に困っていたのも奥さんでした、御主人は奥さん任せの第二当事者でした。気功は奥さんが困らなくなる十分な結果を出しました、転げて唸っているのを聞かなくて済むしトイレまでおぶらずになりました。正しく結果を出してくれたのです。研修医だった頃は俺が治す、治してやると気合の入った治す医者でしたが、いつの頃からか治って下さいどうでもいいから治って下さいというお願い医者になってしまっていました(勿論ですが声には出しません心の中でです)。気功も同じです、何処がどうだから此処がこうなってと診断して具体的に賢げに気功をする訳でなくお願いだからなんとか良くなってというファジーな気功です。そうすると本当に困っている人の願いがその人に最適に実現します。今回は奥さんの問題が解決しました(奥さんが困って電話をして来たので?)、新約聖書のキリストの山上の垂訓の「求めよされば与えられん」です。気功は何卒宜しくお願い致しますという全くお任せのお願い(祈り?)です、カトリックでいう「(神の)思し召しのままに」という心です。やはり気功は人間の力業(念力)ではありません、僕は今でも(情けない)お願い医者です。
月曜日の昼前に奥さんが今朝は会社に行きましたと教えてくれました。これで奥さんの第二の願いも叶いました、亭主仕事で留守がいい。