今日 朝一番で来られた方は昨夜から首が痛くて殆ど動かせないと言う訴えでした
可動域は二~三割ほどしかない、三~四分気功をして動かしてもらうと”あっ動く、全部動く、痛くない、さっきは動かなかったのに動く、治ってしまった、何で”という騒ぎになった
気功をしたんですよと言うと"気功?知らない、何?”と言う
信じられない完治であったようです
同じく昨朝痛くて来た人は全然治らなかった、"痛いんだ、薬をくれ、急いでいるんだ”という感じで治療には全く期待も無い、男性的というか現実的というか、ご飯を食べるのも車にガソリンを容れるような感じのひとだった
どうせ貰えないんだ、欲しくも無いと手を出さない
どうせ見えないんだと見もしない、眼を開けないでは何事も起きないと思う
やはり”なぜか、”ひょっとして、うまいこと”という棚からぼた餅を淡く期待するような甘さがあっていいと思う
気功は信じる信じないではなくて、治りたい痛くなくなりたいと欲するか欲しないかだと思う
これは本来あって当たり前の気持ちで欲と言う以前の自然なものでこれを人為的に抑制するのはおかしいということだと思う